50歳を迎えて

本日 3/29で50歳を迎えた。

今晩は、仕事で新潟県上越市に来ているため お一人様の夕食になってしまった。

3/29夕食2

数年前まで、私が50歳を迎えることはないと 真剣に思っていた。 小学校の頃から夢は、無し。
中学校や高校は、何となくで過ごしてしまった。

就職もすぐ 仕事ができるアルバイト先に就職、自分を殺して 仕事をし続けた。
結婚し、自閉症と言う障害を持って子供が生まれた。昔は、自閉症がまだ知られておらず 子供達と妻には、近所からの孤独を与えてしまった。
最近では、妻の方が 色々と子供達の余暇活動、習字、クラフト作成等出来るクラブ活動を作り  思いもよらない賞を  とることが出来たり 苦労もあるが 楽しんで活動している。子供達も20歳を越え 家に引き篭もることがないように、楽しんでもらいたい。

30代後半でC型肝炎を発症、母親からの遺伝だった。( 母親も 姉の出産時の輸血が原因だった)。 当時は、インターフェロン治療しかなく 身体の悪いウィルスに対して 違うウィルスを注射して C型ウィルスを減らすと言うもの。 注射1本が100万近い高額で 1年間打ち続けることになる。 当然、家計もその様な高額治療が出来るはずもなく このままだと、5年後に肝硬変、その後肝硬ガンで死亡を頭に 入れといてと 看護婦の妹に言われた事を思い出す。 その当時50歳は、迎えることはないと思った。

数年後、国の助成金で治療できるようになったが、実際注射後は インフルエンザの症状に似ていて 毎週金曜夜に注射。 その日の晩から高熱とだるさを我慢しながら 土曜日、日曜日と寝たきりになっていた。 月曜日には、調子が悪くても出社。また金曜日には、注射。この治療を1年耐えた。 精神的苦痛もあり 何も出来ない自分を妬み、家族にもあたった。半年で効果が出てきて、一年後には 数値も下がっていた。その後も、採血の結果は良く 未だにウィルスは検出されていない。現在は、何も苦痛のない飲み薬で治るようになっっているが 当時の私は、不眠やうつ病に似たけん怠感 、治療を中断を何度も考えた。

生き伸びて、なにをするのか。 どうしたいのか。 ずっと考え答えが出ないまま、治療終了。体調も元に戻り、その考えも頭から消えていた。 考えないようにしていたかもしれない。 当時の私は、答えが出ないと思っていたから。

誰のために、何の為に、その考えが湧き出してきたのが、40代半ば。

無事、厄年も終えて 子供達が、学校を卒業する頃である。 その頃、立花岳士さんのセミナーに参加した。 名古屋である。自分のために、名古屋まで来てしまった。セミナーでも立花さんは、色んなビリーフを乗り越えてこられた。 私も変われるかもしれない。懇親会では、子供や仕事以外で繋がった人たち、ウキウキした気持ちでセミナーを後にした。

次の日の明け方、名古屋のホテルで 父親の急死の連絡を受けた。 頭が真っ白のまま、名古屋駅のホームで、来ない電車を待ちながら 葬儀の段取りをしていた事が忘れられません。 アホな旦那が名古屋にいた頃 妻や 母親、嫁に行った兄弟が家の片づけをしている 物凄い迷惑をかけた。 仕方ないとはいえ、実に情けないことだ。

その頃、慌ただしい毎日の中で 自分の中のスイッチが動いた気がする。 入ったまでいかないが 気持ちの中で スイッチを探している自分がいた。 何でも出来る。やっていいんだ。

今、スイッチを入れようと模索している自分がいる。 スイッチの上に積もった、昔の自分を払いのけている最中です。 スイッチの頭は見えている。もう少しだと、思うのです。
夢を持たない少年が、夢をつかむまでにハゲたおじさんになってしまった。
でも今、幸せです。

平成30年3月29日

投稿者プロフィール

野尻 龍宏
野尻 龍宏
(のじり たつひろ)

福井県福井市在住 / ひとり社長 / 2人の自閉症児の父親 / ブログから生き方を模索中

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